江戸時代の檀家

江戸時代になると、村を支配するような大百姓が没落して、村は平均的な本百姓で構成されるようになります。

 

すると、大百姓が支えていたような寺院は独立して、地域共同体の精神的な結びつきを強化するための村惣堂、惣道場と言われる寺が次々にできました。

 

17世紀前半には、家族の全員が同じ寺の檀家というわけではありませんでした。

 

夫婦で別の寺の檀家になっているというようなこともあったようです。

 

これが17世紀の後半に入ると、幕府が寺請制度を推進したことなどが要因となって、一家一寺という関係になっていきます。

 

すると、その家の葬祭や仏事などを、その寺院に委託していくことになります。

 

こうして、現在と同じような形の檀那寺と檀家の関係になっていったというわけです。

 

 

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