神葬祭2

神社にとっての大問題は、寺請制度でした。

 

なんとこの時代、神職の人であってもどこかお寺の檀家にならなければなりませんでした。

 

檀家になるということは、仏教葬をしなければならないということでもありました。

 

そうすると、神社は仏教を排斥して、宗教としての神道を確立し、神葬祭をとなえるようになりました。

 

しかし、神葬祭をするには檀家をやめるということでしたから、檀那寺の許可が必要になってきます。

 

これが結果として、寺院との軋轢を生じさせることになりました。

 

幕府としても、寺請制度は民衆支配の側面が強かったので、神葬祭を用意には許可しませんでした。

 

1785年になってやっと、吉田家から葬祭免許状を得た神職とその嫡子だけが神葬祭をしてもいいと、超限定的に許可が下りました。これは明治維新まで続きます。

 

しかし、まだこの当時は神葬祭の形は定まっておらず、1872年に教部省が制定した『葬祭略式』によって形式がまとめられました。

 

ちなみに、幕末には平田篤胤による復古神道や、国学者によって排仏論が強まって、社会的に影響を与えるまでになりました。

 

 

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